もりおか映画祭特別企画 映画監督・大友哲史&岩手県知事・達増拓也 緊急対談

「もりおか映画祭2011」のゲストでもあり盛岡出身の映画監督・大友啓史氏と、岩手県知事・達増拓也氏が対談。
震災後の岩手の復興のプロセスと復興後の岩手が目指すべきものは何か、また映画が復興に果たす役割とは何か、語り合っていただきました。

達増知事:ようこそ岩手へ。

大友監督:お時間とって頂きありがとうございます。

達増知事:いえいえこちらこそ本当にありがとうございます。

大友監督:昨日、もりおか映画祭が無事開幕しまして、去年、一昨年と、今回3回目なんですけれども、今年は特別な年なので深く踏み込んで参加しようかと思い盛岡へ来たんですけれども、思ったよりというと変ですけれど元気ですね。街中とか・・・

達増知事:そうですね。東京から来た人とか全国から来られる皆さん、思ったより元気だという感想が多いです。

大友監督:なんとなく昨日も思ったんですけど、オフシアターコンペティションというのがありまして、テーマが「震災復興」にまつわるドキュメンタリー作品ということで何作品か観させて頂いたんですね。その作品の中ですごく印象に残る言葉で、「逆境だからこそ物凄いチャンスだ」と、作品の中の取り上げられている主人公の方が話していたんですが。今3月の震災から半年くらい経って、復興の状況はどんな感じなんでしょうか。

達増知事:岩手はお陰さまで8月には避難者の方々には仮設住宅に移っていただき、仮設住宅はお盆前に完成していたんですね。それで延期されていた県議会選挙とか知事選挙が9月にせていただきまして、選挙ができるくらいまでは回復が進んでるというところです。それでその日、その日の衣食住、ぎりぎりの暮らしをしていた避難所段階から、まず基本的な衣食住を確保しつつ自立に向かって働いて稼いで行くことを考えていく仮設住宅段階に被災者の皆さんの生活は進んでいて、それで働く場所を回復していくための水産業関係の復旧や商工関係の仮設商店街を作るとか壊れた工場を再建するとか、そういったところにシフトしてきている。もう一つの流れは、8月に県の復興計画はできていて市町村ごとに「この街はこういうふうに復興させていく」とか「漁村集落はこういうふうに復興させていく」とか提示していたんですが、それをベースに今、市町村ごとに具体的な復興計画を立てているところで、だいたいできてきていて、今年じゅうには仮設住宅の次の住みかを建てていく、街を復興させるということを考えている段階です。

大友監督:復興って時間がかかるお仕事だと思うんですが、一方で風雨にさらされて暮らしている方々の生活を思うと、スピード感もとても必要とされるお仕事じゃないですか。その辺が傍目から見ると難しいんだろうな思うんですけど、どうですか?スピード感と、長期的な視野というか、プランを両立させていかなければいけないということについては?

達増知事:復興というのは長い目で進めて行かなければならないプロセスなんですが、具体的な復興のための事業というのは、短期的なものの積み重ねでありまして、被災者支援ということもまず緊急ヘリコプターで屋上から取り残された人を助け出し、必要ならば病院へ連れて行くという、それはスピーディーに対応するわけです。病院に入院しなくてもいいような人達は避難所に入って頂いてそこに食べ物や衣服などを届けるというのが次の段階。これもスピーディーにやるし、その後仮設住宅を造って移ってもらう、これもスピーディーにやる。次の住みかになるような住宅地を造成するとか、公営アパートのようなもなものをどんどん建てていくとか、早いものは来年にはどんどんできますし、そういう繰り返しですよね。緊急措置の繰り返しが長い目で見て復興になっていくと思うので、例えば漁業関係でも船を失くしても次の船が手に入ればすぐに魚を取りに行くという人達がいて、今、どんどん漁船確保でき次第魚を取りに行ってますしね、そういう意味で、ある段階というのは、短期的に復興が完了していきながら、それが全体として。県で考えているのは、3年で基本的な復興を仕上げて、3年で肉付けみたいなことをし、6年である程度復興したというふうにもって行こうと考えています。プラス2年、その次の段階に繋いでいくことを考えて8年計画にしているんですけど、基本は6年でほぼ完成。できれば最初の3年でみんなが元気になるところまでもっていこうというところです。

大友監督:なにか、復興を進めて行く上で参考にされていることとかありますか?僕ちょうどですね、3月11日の日に大阪に出張があって電車の中で地震にあったんですが、7時間電車の中で缶詰になり、それから東京に戻って5日位、ちょうど会社を辞める準備を進めていた頃でもあったんですが、やはり仕事も何も動けないものですから、じゃあ何するかって時に、溜めていた企画メモにあった後藤新平さんの企画を一生懸命書いていたんですよね。今後起こるであろう復興というプロセスを記録しながら、例えば後藤さんが実際どういう風に関東大震災から日本を復興させたかというフィクションを織り交ぜて描くということを映像化出来ないかと、早々に思いついて。勿論「復興」とかそんなことを考える状況でないことはわかっていましたし、原発騒動でそれどころじゃなくなってしまった感もあったんですが。いずれにしても、その時に盛岡出身の方から連絡があって、後藤新平を取り上げた作品を今こそ作って下さい、盛岡出身の大友さんにぜひ作ってほしいというツイートが、盛岡の人たちの間で話題に上っているという連絡を頂いたんですよね。その後藤新平じゃないですけど、やはり復興していくにあたっての基本的なポリシーとかお考えとか何かベースになるモデルケースとか、もしかしたら、おありにあるのかどうなのか。

達増知事:後藤新平方式というのは大いに参考にしています。震災発生5日後、16日の日にまさにこの部屋で災害対策本部の会議を開き、そこで関東大震災の直後には後藤新平が復興院を立ち上げるという構想を5日後に打ち上げて「今日も5日後だ」と言いつつ「今必要なんだ」というのを言って、今回の大震災後に復興構想が必要だと言うことは最初に言ったのは私だと思っているんですが、翌日の岩手日日新聞にそれがちゃんと載っているんですが、大きいプロジェクト、国を挙げたプロジェクトとして取り組んで行かなければならないことは今回もそうだと思います。後藤新平さんは大風呂敷というあだ名で、その時も大きい太い道路を造るんだとか、大風呂敷と言われたんですが、実は後藤新平さんは理系の方でお医者さんの資格を持っている方なんですね。県立病院の院長として活躍したり、衛生の分野で住民の衛生状態を丹念に調査して、調査の上で様々な政策を思いきった新しい政策をやって成功させて台湾で働いたり満州で働いたりしたんですけれども、今回の東日本大震災の津波の復興にあたっても、まず科学的、技術的調査をきちっとやった上で、そこに経済的な必要性とか社会的な必要性とか被せ街づくりのプランをやっていこうという一代方針を掲げています。首空論ではなくハードなデータに基づいて復興のデザインをしていくというところは後藤新平方式です。

大友監督:そうですか。今回もりおか映画祭で「映画を生きる力に」というテーマで掲げていて、知事はエンターテイメントもお好きでいらっしゃるからあえて聞くと、映画のようなものが必要なタイミングとか果せる役割というのをどういう風に考えていらっしゃいますか。

達増知事:私が耳にしているケースで既に被災地で映画の上映会ですね、『寅さん』を上映して物凄く感動が広がったということを聞いておりますし、内陸の映画館でコマーシャルで東北のお祭りにみんなで行こうとか、全国チェーンで展開している映画館で宮城・岩手・福島3県の知事もそこに登場してどんどん東北に来て下さいという広告を流して、そこは被災地を応援するような人達に呼び掛けるようなものを映画館で流したりという例はありますね。やはり映画というのは人の心をグイッと掴みますから、そこはひとつは癒し効果、色んな現実の苦労とか悩みとか解放してくれるというのは大きいですし、後は観終わった後、やる気になるそういう心のエネルギーを取り戻すことができるということが大きいと思います。

大友監督:昨日それでですね、ウェルカムパーティーでたまたま会場だったレストランのコックさんが大船渡で被災された方で、家を無くして行き場を無くしている中で、そのお店の女性のご主人がその方をコックさんとして雇用され、彼が作ったローストビーフ等が振舞われ、いやあ、それがかなり美味しかったんですけれども(笑)。まあそれはさておき、三陸の被災者の方を盛岡の方々が一生懸命支えている様子を、早速昨晩直接目の当たりにしたんですね。今回の地震で、大規模な被害に遭った沿岸の状況を考えた時に、盛岡は基地じゃないですか、復興の要衝というか。例えば日本全体でもよく議論されたことですけれども、東北を復興させるためには、東京とか中央が元気じゃなければ復興もできないんじゃないかということも言われていますけど、今回、僕も自分が盛岡の人間なんで、盛岡はどういうところを役割として果たして行くんですかね。その時に。

達増知事:盛岡は結構大きな地震はあったんですが、あまり被害もなく、ここは被災者、被災地を応援する一大拠点として機能していくんだと思います。盛岡市さんの方でも様々沿岸に入って行って手伝ったり、あるいは宮古市になっている旧川井村に支援センターを盛岡市は設置して、そこから応援、ボランティアとかの基地にできるようにしたりとか、そういうことを既にやっていますけども、そういう支援の一大拠点という役割は盛岡にはあると思います。

大友監督:そうすると例えば今回、一大拠点になるべき盛岡で、なかなかこういう状況なんで立ち上げも含めて、もりおか映画祭は御苦労されたと思うんですよ。関係者の皆さんも当然何かを起こすには、色々なその実弾というのもいるわけですからね。その中で映画祭自体に期待されることというか、こういう映画館ストリートという商業の中心地に商店も地理的に密接していて、映画館自体と商業施設の活況が非常に密接な関係にあるストリートというのは、今日本全国ロケ地とかで行くんですけれどもほぼないんですよね。今回映画祭に一緒に来られた林海象さんという京都在住の映画監督は、「京都と似てますよ」と、盛岡という街は。ある種文化と生活というのがすぐ隣接にあるということだと思うんですね。そういう映画館通りという名の、僕なんか個人的にやはり映画祭単体で盛り上がるのではなくて、通り全体が盛り上がってお客さんや観光客を集客して、それで、被災地の状況も含めてこちらか何か発信していくというということが、この小さな映画館通りという通りから日本全国へ何かを発信していくという事を進めて行く上で必要だなと思うんですよ。その時に何かヒントになるお考えとかですね、映画ファンだけの集まり、オタクの集まりだけになっちゃうと意味がない気がしているんですね。実際問題。それをどうやって広げていくか。

達増知事:映画はパワーがあって良いと思うんですが、私、小さい頃は家族で映画館通りで映画を観るという習慣があって、毎月一回は必ず家族で映画を観に行っていたと思いますし、中高校生になったら今度は友達同士で映画を観ていました。その頃、『宇宙船ヤマト』の映画版や『スターウォーズ』とかちょうどそういう時代だったんで凄い興奮しながらみんなで映画館へ行っていた記憶があります。広がりがあると思うんですね、家族とのこういう生活、友達同士、学校の生活とか、そういう街の広い基盤の中で、映画館通りが大きな役割を果たしている、そういう繋がりも含めて盛り上げて行こうというのが、盛岡での映画祭というものの原点だと思うんですよ。そういう意味では、映画固有の狭い世界にどんどん入って行くというそれはそれで凄いことではあるんですけれども、やはり、街の家族とか学校、友達とかの広がりに繋がって行くような盛り上げ方を工夫するのがいいと思いますね。それが復興支援の観点からいくと生活の再建、生業の再生、安全の確保と三つあるんですが、そういうのに映画祭が繋がっていくというふうになるんじゃないでしょうか。

大友監督:昨日、何人かの方と話していて、被災体験というのを忘れてほしくないということを言う方が多くて。話はちょっと違うんですが、雑誌の企画で役者さんと対談というのを始めたんですね。一回目は蒼井優さん、二回目は青木宗高君と言う『龍馬伝』で後藤象二郎の役を演じた役者なんですが、彼は龍馬伝が終わった後に日本を離れて、年が明けて半年間アメリカにいて日本の震災のニュースを聞いたそうなんですね。彼はもはやネット環境も含めて世界と日本というのは距離は遠いけれど、とても近い、そんなに遠くはないだろうと思って行ったらしいんですね。そして今回地震があって、そのニュースがニューヨークでも自分の周りを飛び回り、周りの皆も「青木、大丈夫か?お前のところは大丈夫か?」と声をかけてくれて、一挙に距離が縮まったそうなんです。ところがひと月、ふた月経ったら、結局どんどん忘れ去られていくプロセスを見るだけだった。世界と日本というのは思ったよりも近いと思って行ったけど、物凄く遠かった、実は凄く遠かったということを実感として言っていて、今回の件も含めてなんですけれども、忘れられない復興努力とかアピールとか何かの対策みたいなものがいると思うんですけれども、その辺についてはどういうふうに考えておられますか。

達増知事:色々メモリアル公園造るとか、そういうハードな面で記念碑のようなものを創ろうということがあります。それから慰霊祭、慰霊式典のようなものを毎年行事としてやっていくことも検討しております。それに加えて思うのは、今回の大震災というのは、情報量が圧倒的に膨大なんですね。それで発震直後に起きていたことも全貌を掴むのも県知事としても大変でありました。その後の復旧復興のプロセスも今この瞬間もそれぞれの市町村や地域の中で様々な努力、工夫が行われているんですけれども、そういった情報にアクセスする機会がないと関心も薄れて行くと思うので、ドキュメンタリー的にでもいいですし、様々な資料映像を流すというのでもいいですし何か繰り返しそういう映像、音響に接することができる場があるといいと思います。アメリカに二年間暮らしていた時に『ロッキーホラーショウ』という映画を毎週土曜日必ず上映する映画館というのが学生街に一つは全米あるわけですよね。ワシントンDCだとジョージタウンにそういう映画館があって、毎週土曜日、震災関係の映画を上映するとかですね、頻度が毎週というのは難しいと思うんですが、そういうことで映画が風化させないということに関われるのではないかと思います。

大友監督:昨日オフシアターのコンペティションの作品で地元の方が作った、短くて、僕は一応プロなので彼らの作品をアマチュアと言わないと僕の立場がなくなるので、一応アマチュア作品を観て演出とかその作っているスタイル的にはもの凄く甘くて稚拙なんですけれども前提にある体験の凄さがあるんで、ある種、方法論とか関係ないところがあるんですよ。とんでもない、もの凄い体験をされている方がベースにして作っているという強さ、誰も否定できない「真実の体験」ならではの強さがあって、プロの目からすると、そういうのをもっと上手く伝える方法を覚えればもっと面白いし、有効ですよね。ただ、それをプロの側から作るのではない強烈さや不器用さ、混乱も含めてさらけ出されている面白さが物凄くあって、ああいうものが、実は意外と届くんじゃないかなと思ったりすることもあるんですよね。何かプロであるこちらが、ハッとさせられるというか。僕も岩手県人なんで元々は口も立たないし、アピールが下手なんだけど、物凄く意図をしっかりもって相手に意志を伝えていかなければならないということで、多分長年にわたって意識的に訓練してきたと思うんですよ。その時になんかこう彼らのアピールを高めていく、アピール力を高めていく場とか、アピール力を高めていく演出というのをしてあげたいと思ったりもするんですけれども その辺でもなにかね、お考えになっていることとかありますか。

達増知事:今思いついたのは、非常に特殊な例なんですが、『ゆきゆきて神軍』というドキュメンタリー映画があるじゃないですか。あれは当事者だからできる、一人でも撮影から出演から全て一人でやって凄まじいドキュメンタリー映画、あれは戦争ということで、だから四、五十年前の事をあれだけ生々しくドキュメンタリーでやれたってことは、今回の大震災を直接体験したような人達であれば、ある程度時間をかけて映像表現技術を身に付ければ、振り返りながら物凄いドキュメンタリーを作ることができるなと思いますね。

大友監督:吉村明さんとかの小説でもあるじゃないですか。で、今回『ヒアアフター』というクリント・イーストウッドが作った津波でのみ込まれた方の臨死体験、ある種どう立ち直っていくかっていう魂の救済のプロセスを描いたクリント・イーストウッドの映画がありまして、それを推薦作品として今回上映させていただくことに地元の方と協議してなったんですけど、この辺りも僕も県人ではあるけれども、震災体験を同時にしている人間ではないので、このタイミングで皆さんに観て頂くというのはどういう結果を及ぼすのかという事に対して、意外とビクビクしながらやっている部分もあるんですね。変な意味ではないんですが、つまりこちら側から体験者が発信するというのは、物凄く強いですよね。我々は今何を受け入れられるのか、どういうことなら目を向けて見られるか、僕らがプレゼンして『ヒア・アフター』を観て頂くスタンスではなくて、地元の方の方から形としてはですね今こそ『ヒア・アフター』を観たいと言われると、彼らはもう一度何かをね、このプロセスを映画に重ね合わせて自分達の何かを観たいということなんだなということが理解できて、ちょっと混乱していますけども、何か地元の方々の側から発信していく力というのがやはり凄く大事だなと思っています。

達増知事:どんどんそういう感じた事とか、被災地の方から発信していくといいんでしょうね。今お話を聞いていて思いだしたのは、大河ドラマで今『江』ってやっていますが、あれのオープニングというのは、湖の中を扇とか布のかが舞っているところから始まって、あれは見ようによっては津波直後の状況みたいで、しんみりした気分にもなるんですよね、ただ物凄く綺麗で音楽も良いから癒し的な効果もあって、制作した人達はもちろん津波のこととか意識して作っていなくても受け止め方によって何か感じるものがあるというのは、現地の人が言わないと分からないものだから、そういうことを現地の方からどんどん発信していって、こういうのをみんなで見るといんじゃないか、聞くといんじゃないかというのは発信した方がいんでしょうね。

大友監督:今、情報が多いじゃないですか。テレビにしてもネットにしても主体的に情報にアプローチするってことをこちら側が選んでいかないと、意外と見つけられないことっていっぱいあるじゃないですか。そういう情報環境の中でこちら側が、岩手からの情報をどういうふうに埋もれずに、ごちゃごちゃした情報環境を乗り越えて、生き残らせて、一番目立つところに持っていくかそういう手法というのは、どうしたらいいのかなって思ったりするんですよね。

達増知事:クリエイターの世界とこの岩手県、両方に足場を持っているような方が活躍する局面じゃないかと思いますけれども。

大友監督:マンガなんかも面白いですよね。あれだけ50何人、本当に岩手の方がいるとすると、知事の知っている範囲内でいうと、彼らボランティアで入っている方も何人もいるじゃないですか。そして少しずつ自分の作品も書きあげているじゃないですか。ああいうのをどういうふうに取り込んでいくかというのもありますよね。セールスマンに是非なって頂きたいな。

達増知事:「コミック岩手2」も今作る企画を進めているところで、津波、震災関係のことを書いて下さいという依頼の仕方ではなく、岩手を舞台にしたものなら何でもいいです、岩手に関係あるものなら何でもいいですというような感じでお願いしてるんですけども、多分、結果としては津波震災に関係するような作品が描かれるんじゃないかと思っていますが、そういうのをコーディネイトするようなことを行政としてやった方がいいなと思っています。

大友監督:それは、知事ご自身が陣頭に立つんですか?

達増知事:岩手県知事責任編集という帯が第一集には付いてるんですが、やはり責任をもって編集したいと思います。

大友監督:マンガ大国にもできますもんね。何かいりますよね、どうアプローチしていくかということですよね。

達増知事:マンガそのものの振興、マンガ家の振興というのも念頭に置いていて、南部杜氏みたいなそういう高度職能集団として、「岩手マンガ家」みたいな南部杜氏に匹敵するようなグループとして認知されればいいなと思っていて、南部杜氏も岩手に残って酒造りしている人もいれば、日本中あちこち出かけて酒造りしている人もいるから、岩手でマンガを描く人もいれば、日本中あちこちでマンガを描く人もいて、それはマンガに限る必要はなくクリエイターであれば映画監督でもいいわけですし、そういうことを育む素地がいが岩手にはあると思いますね、宮沢賢治的な雰囲気とかそういうのが。

大友監督:一時期アイデアとして出ていたんですけれども、映画祭のコンセプトという時にそいうスタッフ側とか、そっちに陽を当てるという方法もありますよね。作品というよりも。例えば、撮影監督栃沢さんにスポットを当てた映画というのを二年前位にやってたんですけども、その辺にスポットを当てながら、ただやっぱりそこには映画が好きな人は来るけど、そこからどう一方でね、どう広げていくか、もう少し広い広がりを持つためのアイデアがやっぱりいるんだろうなという気はするんですよね。

達増知事:『スターウォーズ』を観はじめて、それでどういう人達が作っているのかに興味が移っていって、特撮の人達、そすると列伝のようなものが出版されいたりしてますから、ああいう方に関心がいったりどういうシステムで作っているのか、社会学的な関心にいきます。

大友監督:達増さんの映画のベストは何なんですか?一番好きとか二番、三番は。

達増知事:ベストは色々な切り口で総合的には『スターウォーズ』シリーズが好きなんですが、『マイ・フェアレディ』も、英語を生業とするような人生、外交官をやっていて、英語というテーマであの映画がもの凄い好きなんですよね。

大友監督:『スターウォーズ』ですか。

達増知事:ええ。あとはその時によって違うんですけどね。映画は食べ物みたいな感じで、今まで食べた中で一番何が美味しかと言われてもパッと浮かばないですね。あれも美味しい、これも美味しいという感じですね。

大友監督:あ、そうですか。でも『スターウォーズ』、面白いですね。達増さんが『スターウォーズ』って。

達増知事:そうですね。

大友監督:僕としては、今の時代色んな情報が多いし、やはり若い人達が情報の捕まえ方の方法も上手になっているし、その中で映画というオールドメディアがどうやって生き残るかとなった時に、結局ヒントは、アナログ的な感覚の中にあるような気がするんですよね。デジタルな機材、最新のハードを使って映画を撮りつつ、描くものをいかにアナログなところに還元していくかということが一方にあると思っていて。「寅さん」の話じゃないけれども、伝わるのは、「痛い」とか「悔しい」とか「嬉しい」とかシンプルなものが一番伝わるなって気がしているんですね。ということは、このような情報の溢れる中で生き残っていくものというのは、「痛い」とか「苦しい」とか「嬉しい」とか「楽しい」「悲しい」という個性の見える顔、個人の感情の見えるアプローチであるということを思っているんですね。でも人にそういう顔を見せるということは、本当はすごく親しい人にしか出せないじゃないですか、本音の部分の嬉しいとか悲しいとか辛いとか、それが強ければ強い程、きっと表現としても強いものが生まれるんですが、それを人に話すのは難しいし、恥ずかしいし、照れくさいしということで言うと、ヒントとしては岩手なり東北なりの本当の顔というのをどういうふうに世間に対して、照れずに見せていくのか、見せる形にしていくのか、その辺がもの凄く大事だと思っているんですね。原始的な感情表現っていうのが何かというのを地元の方から発信されたものを見たいというのがあるんですよね。それに惹かれて、色んな人達から今が大変だから何か応援するというのではなくて、忘れ去られたり記憶の中で風化され、その経験が遠くなった時でも、その土地ならではの原始的な感情表現に魅力が発見できてさえいたら、みんなが集まってくると思うんです。そういうことを色々教えて頂きながら、僕自身も探していきたいなと思っているんですけども。

達増知事:先日、テレビで『ゴールデンスランバー』を観たんですが、あれは仙台で、ああいう映画を作って頂いた仙台が羨ましいなと思ったんですが、仙台だからリアリティーがあるという感じで、同級生同士のその後の付き合いとか、色んな人が親切にしてくれるとか、仙台ゆえにリアリティーがあるという、主役が仙台という映画だったなと思って観ていました。ああいうのが岩手から発信できればいいなと思いました。

大友監督:そうなると地元在住の強烈なアピール性を持つ個性的なクリエイターなのか、言い方が悪いのですがアジテイター(扇動家)なのか、声を挙げられる人、一人なのか二人なのか三人なのか、なるべく多くいた方がいいと思いますが、必要ですよね。

達増知事:後藤新平さんとか過去の人でもいんだと思いますし、そういう過去まで遡ると岩手は宝庫なので、過去の歴史上の人物の叫びを今でも共感できるんじゃないかと思います。

大友監督:そういう方をなるべくね、取り上げられるような、僕もやりたいことがいっぱいあるんですが、なかなか一人では大変なので、何人かいるといいですよね。佐藤嗣麻子さんもいますよね。

達増知事:サロンみたいなのがあって、そこでみんなで連携しながらやっていくといんでしょうね。

大友監督:そういう回路があって知事とかに後押しして頂いて、それをどういうふうに本当に、極端にいうと、情報環境に埋もれさせずに突破していくかということなんですかね。

達増知事:映画には本当に期待しています。実は祖父が戦前、岩手日報に映画評論を掲載しておりまして、祖父にも恥ずかしくないように映画を大事にしなければならないなと思っています。

大友監督:プレゼンテーションというのはすごくいかがわしい言葉ではあるけれど、プレゼンテーション能力というのがないと良い物を作っても生き残らない時代なんだなって凄い感じるんですよね。誰かに見つけてもらうことを待っていたのでは、永遠に誰も気づいてくれないというか。この時代の、情報の渦に埋もれてしまうというか。上手くプレゼンテーション能力を育てるようなことということを、自分の今までのプロセスも返り見て、機会を提供できないかなと思ったりもしますね。

達増知事:大友映画塾?

大友監督:いやあ、まだ僕は半歩映画の世界に足を突っ込み始めたばかりですから むしろ誰かに教えてもらいたいくらいですね。(笑)